くるめろとは違う

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オレカバトル:時の章 永劫の竜 と認識の破壊 ツァラトゥストラはかく語りき

オレカバトル『時の章』

 

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宗教と哲学を信じられないテンションでシェイクするぜ、今日は。

先日解禁となったオレカバトル新章の『時の章』。ダルタンのボス化やブラックドラゴンイベントの再来にて始まった今回の章、コナミ公式Twitterはこの時の章に対してある説明文を載せたツイートを行っているのだがあなたは既に確認されただろうか?

 

終わりなき時が交差し巡る輪廻が渦を巻く

閉じられた∞の中、永劫の竜が目を醒ます

運命を切り開き、オレカの未来を創造せよ

この文中に登場する「永劫の竜」こそがブラックドラゴンやダクラウに当たるボスの存在なのではとwebでは話題となっている。こちらの文章、個人的に気になったのは星の騎士ライトの歌詞との相似。

そんな訳で信じられないほどオカルト的な視点で宗教や哲学をシェイクしまくるブログなんですよ、今回は。自分で書いてても頭の頭痛が痛い状態で途中からは、電波が颯爽と飛び交いまくるお花畑でアハハ・ウフフとナチュラルハイな状態へ突入したのでものすごく読み辛いと思います。

あと全部想像と妄想です、間違ってもこれを鵜呑みにしないでください。

 

星の騎士ライトの歌詞がストーリーをなぞっていく

かねてから「呼び声」や「闇より暗い黒」とストーリーとの関連性を噂されているライトの楽曲。ダクラウが甦生した星の章も幕を閉じ時の章へと突入したので、ここで一度歌詞を振り返り個人的な憶測を纏めてみた。

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こうしてみてみるとライトの歌詞はライシーヤ来寇移行のオレカバトルのストーリーをなぞっていっているように感じる。

  • 闇の章への移行

序盤の呼び声はライシーヤが宇宙へとはなった咆哮。

  • 闇の章へと突入し「闇」の存在が明かされる

その後「闇より暗い黒=崩星竜ブラックドラゴン」の超誕。崩星竜ブラックドラゴンイベント開催時にはライトはまだ登場していない事から「空から見衛る」状態なのはライトの事を指しているようにも感じる。

  • 星の章への突入、星の創生が明かされる

そして星の章への突入、Here now summons~は星の騎士ライトの登場そのものであり、星に「息づく命」と星の創生者との対峙が表現されている。

 

ここまでが既に起こった事柄だがこの後は

∞超え 運命切り開いたら

目覚めるプロトスター

と突如として簡素な歌詞へ。星の始まりが明かされた後のストーリーは何処へと向かうのか?

 

時の章

一気に簡素で抽象的になった歌詞だが、ここで冒頭の時の章の公式説明文を再度見なおしてみるとこの歌詞と説明文に重複するワードが登場していることに気付く。

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双方に共通するキーワードは「∞」「運命を切り開く」の2点。ここで歌詞から一度離れて公式説明文のほうへシフトし拡大解釈していってみることに。

終わりなき時が交差し巡る輪廻が渦を巻く

閉じられた∞の中、永劫の竜が目を醒ます

運命を切り開き、オレカの未来を創造せよ

 念のためもう一度公式説明を確認して頂きこれらを1文ごとに解体して妄想を書きなぐっていきたいと思う。

 

まずは冒頭

終わりなき時が交差し巡る輪廻が渦を巻く

こちらを

終わることのない時が交差し巡る生と死あるいは転生が続いている

 と解釈。仏教ヒンドゥー教において輪廻は「転生」を意味していたりして、生前の行いが「カルマ」となりそのカルマの重さで魂が様々な生き物へ転生する=生まれ変わるので、ここでは「この転生が続いている」ように解釈した。

 

2行目

閉じられた∞の中、永劫の竜が目を醒ます

を僕は

閉じられた世界の生命の転生」の歴史の中で、永劫(を司る?)竜が目を覚ます。

と解釈。

「閉じられた∞」とは「閉鎖的な環境の中で繰り返される終わりの無い事象」のように読み取れ、前の節の流れを汲み「閉じられた世界での転生」と解釈。

前述の輪廻は宗教上「悪」と捉えられることが多く、この転生を断ち切りこの輪廻(=業を繰り返すこと)から自身を解き放つ事(=解脱)が仏教などでは良しとされる。∞=転生を「閉じられた」という若干ネガティブなワードで表現しているのでこう解釈した。

 

そして永劫の竜が目を醒ます、だが永劫=永遠の竜と聞いてパッとイメージが湧くのは「ウロボロス」だ。

 

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ウロボロスは自身の尾を噛んだ円の形を持つ蛇であり、この蛇は

  • 循環性(永劫回帰)
  • 永遠
  • 無限
  • 死と再生/破壊と創造
  • 始原性(原始)

等の象徴。

この幾つかの象徴の中にある「永劫回帰」、永劫の竜というワードにも符合するのだが、この竜を表現する「永劫」が単純な「永劫」なのか「永劫回帰」なのかで話は大きく違う展開を見せると思っている。つまり

  • 永劫

であればそれは単純な永遠性(ネヴァーエンディング的な意味で)となるのだが

かの有名なニーチェの哲学思想であり、これは前述した「輪廻転生」等の仏教的な死生観とは大きく対立するものだからだ。

 

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仏教的な永劫=永遠、つまり輪廻転生といった意味であるならばそれは―宇宙の始まりから僕やあなたの魂が幾多の輪廻転生を経て現代に人として存在している―という死生観であり、僕やあなたの死後人として積んだ徳や罪などカルマの重さによってその後の生まれ変わり先が確定する。これは日本で生活している上で非常にポピュラーな生まれ変わりの概念である。(信じるか信じないかは別として)

これが哲学的な永劫、永劫回帰である場合。僕やあなたという存在が生まれた瞬間に宇宙は始まり、太古の過去があったような記憶を錯覚していく中で生活し、自身の死=消滅によってこの世の認識(つまり宇宙までも)が終了するという死生観。ここでの生まれ変わりは時間の経過が含まれず、もう一度僕やあなたは人生を2度目(あるいは3度目、50度目、2000度目かも知れない)のものとは知らずに繰り返す。ビデオテープに録画されているようなもので全ては不変という概念である。

 

ここで説明分の冒頭に戻ってみよう。

終わりなき時が交差し巡る輪廻が渦を巻く

 これが現在のオレカ界を指しているとするならば、オレカ界は循環する円ではなく螺旋のように伸びていく輪廻の中にある。そんな輪廻が繰り返される閉じられた∞=無限の中で目を覚ます「永劫」。

 

ブラックドラゴンが「破壊」の象徴であるならば、永劫=永遠の竜は「再生」の象徴ではないか?と感じていたのだが、この再生は輪廻を繰り返す「魂の再生(rebirth)」ではなくあるいは永劫回帰を繰り返す「魂の再生(replay)」を司る可能性。

つまり、これは転生と循環の衝突なのではないだろうか。昨今頻発する焼き直し(=リプレイ)されまくるの様々なイベント、オレカ界の世界は一巡し、また最初から永劫回帰=リプレイされようとしているのではなか。再生の終わったビデオがまた初めから繰り返されるように。

 

そんな永劫を司る竜を、おそらく僕やあなたはこれから倒すことになる。哲学的永劫・永劫回帰を断ち切る、これはつまり繰り返される一生が記録されたテープの破壊、自身が知覚する世界・宇宙の消滅。

どちらにしても現在の宇宙は僕やあなたを縛る存在ではなくなり、認識という観測点から言えば、消滅する。

 

そうして最後の節へと到達する

運命を切り開き、オレカの未来を創造せよ

全てはウルトラメガ拡大解釈だが、永劫の竜=オレカ界の生命の再生(輪廻)―あるいは生命の再生(リプレイ)―をコントロールするドラゴンであるならば、そのドラゴンが定めた「運命」を断ち切った先に待つ「オレカの未来の創造」は新たな世界の、宇宙の創造のようにも見える。

 

ちなみにライトのテーマではこの後に

「目覚めるProtostar(原始星)」

と締めくくられる。

 

これらを纏めて超エクストリームに拡大解釈するならば

現世での輪廻・永劫回帰の宿命=永劫を司る竜との対峙の先に待つのは新たな宇宙の誕生

あるいは、輪廻を超え、転生のカルマ(を管理する永劫の竜)から解き放たれた、永遠の魂と自我を持つ新たな世界への到達。

 

そんな馬鹿な!とボクも思ったのだがこれまで逃れられない「闇」をリンチにし、その後なんなく星の創造主をリンチにしてきたバトラーとモンスターだ。永劫の竜もまず間違いなくボコボコにされる、ボボボーコ・ボーボコにされる。これだけは間違いない、今回のブログは信じられないほどの妄想をオカルトで煮しめたようなトンデモな内容となっているが、永劫の竜がボコボコにされる未来だけは、確実なのだ。

 


リヒャルト・シュトラウス: 交響詩 《ツァラトゥストラはかく語りき》 作品30 カラヤン / ベルリン・フィル

 

ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)

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R.シュトラウス:ツァラトゥストラかく語りき

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