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オレカバトル:雑記 オレカバトルが持つ神話性と貴種流離譚の話

オレカバトル雑記

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オレカバトルの持つ神話性

どうもオレカバトラーの皆様、ご無沙汰しております。最近は遊べる店舗が減ってしまった事と娘がつかまり立ちをし始めたことにより「つかまり立ちの手すり役」を仰せつかり、なかなかプレイできる環境になく、最新の情報云々に関してはアグレッシブに活動している方へおまかせするとして、以前から書こう書こうと思っていたのに書けていなかった、オレカバトルの持つ神話性と貴種流離譚の話をポストしておかなければとペンを取った次第でござい。

オレカバトルの魅力はなにか?と言えば、当時版権モノ(仮面ライダーとか)が群雄割拠する中で完全オリジナルキャラ+原作の存在しないゲーム先行型(一部語弊あり)で切り込んでいき、実際にキッズアケゲー界で一世を風靡するに至った程のゲーム性だろう。

キャラクターのデザインセンスなども勿論だが、なによりそのゲーム性、特にこれまでの既製品カード排出の概念を破壊したゲーム内キャラ育成+その場でプリントアウトできるというブレイクスルー。

今や当然のように他キッズゲーも追随しているが、名もなきオリジナルゲームが並み居る有名キャラクター物のゲームを引きずり下ろし、信じられないほどの隆盛を迎えたのはやはりそのゲーム性に尽きるかと思う。

しかしながら、オレカバトルの持つ育成可能という機能面のみがオレカバトルをそこまで押し上げる推進力になったのか?と言われれば、それもまた若干の語弊があり、そんな最新テクノロジーを強力にバックアップするキャラクターやストーリーもまた、大きな魅力だと感じている。

特にオレカバトルの「プリンター内蔵」という強みに他社が追随していきプリント方式が当たり前になったなかで、今もなお稼働を続けファンを引っ張り続けている魅力はこのストーリー性に傾きつつあるとすら感じている。

では、なぜ漫画やアニメ等の原作を持たなかったオレカのストーリーがこうも魅力的なのだろうか。個人的に、オレカバトルの持つ魅力は非常にシンプルな「神話性」だと感じている。

そんな訳で、オレカバトルの神話性の話をするんですよ。

 

スターウォーズとの類似点

神話性の話の前に、以前からちょいちょい触れている、新旧1/5章のダンテのストーリーとスターウォーズとの類似点について説明しよう。

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最近のキッズ諸君にはスターウォーズをまったく知らない層がいるとのことで、スターウォーズは一般教養、国語とか算数と同じくらいマストな物でみんな当然知ってるもんだと思っているおじさんは深い悲しみの中にいるよ。

話は逸れたが、以前も触れたようにオレカ1/5章のダンテとスターウォーズの主人公ルーク・スカイウォーカーを取り巻く環境というのは非常に類似点が多い。

例えばその出自。ダンテ・ルーク共に自身の父親、ダンテであれば魔王アズール、ルークはダース・ベイダーが巨悪として君臨しているが、そんな巨悪が自身の父だとは知らずに図らずとも父殺しへとストーリーは向かっていく。

ダンテにはポワン、ルークにはレイアという生き別れの妹がおり、両者とも母はなくなっている。また前述のように巨悪が父だという事実は知らず、父も死んだものだと考えており、天涯孤独。実際には強力な血筋の元に生まれた存在でありながら、その事実を知らずに成長を遂げている。

巨悪打倒に際し、ルークはゴロツキのハン・ソロやチューバッカ、R2-D2等のドロイドと行動をともにしているが、ダンテもその後魔王軍へ加わってしまうサエザーといったアウトローと行動をともにしており、さらにここはぽすか先生準拠となってしまうがフロウと関係性のあるロボ達との交流もある。

最終的に巨悪打倒=父殺しを果たし(SWにおいては父との和解と元凶殺し)、ダンテは魔海の神殿に帰還する。

また、スターウォーズが「なぜダース・ベイダーが誕生したのか?」に焦点を当てたプリクエル/前日譚であるエピソード1~3を後から公開したように、オレカでも「なぜアズールが魔王になったのか?」に焦点を当てた5章が新たに追加、父親であるアナキン・スカイウォーカーが妻であるアミダラと出会いダース・ベイダーへと堕ちていく流れ同様に、海賊アズールがメロウと出会い魔王へと堕ちていく話が展開される。

 

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こちらは以前(2014年)作成したオレカバトルの魔海相関図。新5章更新前ということで、ダンテ・ポワンとアズールメロウの思念体との邂逅等は含まれていない。

詳しくは当時の記事で。

cruelmelody.hatenablog.com

 

ここまで読んでいただければあなたも、細かい設定や動機は別として、ほとんど一致してるじゃねーか!か、あるいは、オレカのストーリーにケチつけるくるめろ○ね!のどちらかの認識を抱いているかと思う。

が、これに関して、僕はオレカのストーリーが有名SFの設定を丸パクリしている!と騒ぎたいわけではない。この類似性はスターウォーズ同様、単純にオレカのストーリーの設計が神話的構造に則った非常に良質なストーリー体系だから、と言うことに他ならない。

 

モノミス理論

世界各地、様々な時代に発祥し様々な形で伝承されてきた神話、これら神話には一種の基本的な構造が存在するのではないか?という仮説、Heroes and the Monomyth(英雄と輪廻)通称「モノミス理論」というものが存在する。

この理論を提唱するジョーゼフ・キャンベルは神話には3つのセクション、更にそれらを細分化させた8つのステージが存在するという説を唱えており、

大きな3つのセクションとして、

  • 1.出発(あるいは別離)
  • 2.通過儀礼(イニシエーション)
  • 3.元の世界への帰還

細分化8つのステージを大まかに説明すると

  • 1.天命 ー主人公が旅に出るためのきっかけと出会う
  • 2.旅の始まり ー旅立ちへの障害と葛藤
  • 3.境界線 ー日常/非日常の境界線に突き当たり試練を超えることで非日常へと突入する
  • 4.メンター ー非日常の世界での師との出会いと新たな経験
  • 5.悪魔 ー最大の試練(強力な敵)と絶体絶命
  • 6.変容 ー最大の試練を乗り越え、英雄へと成長
  • 7.課題完了 ーこれまでの旅路の"意味"を知る
  • 8.故郷への帰還 ー英雄として元の世界へと帰還する

となる。

数多くの神話がこちらにあてはまり、前述のスターウォーズは完全にこの神話体系とも言える。マトリックスロード・オブ・ザ・リングもこちらの流れを汲んでいるとされている。

ジョーゼフ・キャンベルの著書「千の顔を持つ英雄」にはこういった神話の基本構造が記されているのでぜひ読むべきだ。ジョージ・ルーカスの愛読書としても有名。

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕上 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 
千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

千の顔をもつ英雄〔新訳版〕下 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 

 

貴種流離譚とは

しかしながら、上記神話体系で見るとスターウォーズやオレカ1/5章に足りないものがないだろうか?上記8ステージを踏襲しつつもそこに「そこはかとない生まれの不幸」等、、これらもまた基本的な神話の構造として多く見られる設定だが、

「高貴の血脈に生まれ、本来ならば王子や王弟などの高い身分にあるべき者が、『忌子として捨てられた双子の弟』『王位継承を望まれない(あるいはできない)王子』などといった不幸の境遇に置かれ、しかし、その恵まれない境遇の中で旅や冒険をしたり巷間で正義を発揮する」

-wikipediaより抜粋

といったエッセンスを持つものを、国内では「貴種流離譚」と分類している。

平たく言えば、

1.実際は物凄い出自や力を持った主人公が

2.生まれた段階で殺されそうになったり、捨てられたりして

3.父はその存在を恐れていて

4.自身の出自を知ることなく不幸な生活が続き

5.旅の中で下賤な仲間達の助力を経て

6.成長することで自身の出自/親を知る

7.父殺し/和解

8.成長/栄誉、そして帰還

といった流れ。

ダンテでざっくりと説明するのであれば、

1.実際は物凄い血筋や力を持った主人公が

魔海の支配を目論む魔皇クジェスカを一度は退けるという偉業を果たした海賊アズールの息子として生まれる

2.生まれた段階で殺されそうになったり、捨てられたりして

アズールの魔王への覚醒・母の死と共に家族は引き裂かれ、

3.父はその存在を恐れていて

※アズールがダンテを恐れるという描写はここでは含まれず

4.自身の出自を知ることなく不幸な生活が続き

アズールに全てを奪われた存在として、放浪の旅を続け

5.旅の中で下賤な仲間達の助力を経て

サエザーとの合流や、ダンテが一度歩んだであろう絶望の道も表現手法は違えどこれに当たるだろう。

6.成長することで自身の出自/親を知る

ぽすか先生準拠ではあるが、ダンテはアズールとの対峙において自身の出自を知り、またポワンとの再会によってアズールが背負ってきた覚悟の重みを知る。

7.父殺し/和解

ここに関しては前述の6とも内容がかぶるのだが、スターウォーズにシディアス卿が存在するようにオレカバトルにもこの氷劇の元凶となるクジェスカが存在する。このクジェスカを殺すことによって、父アズールはカルマから開放され、魔海にバランスがもたらされる。

8.成長/栄誉、そして帰還

神殿への帰還と、魔海の番人(ポワンは守護者)への成長。

となる。

スターウォーズのルークとオレカバトルのダンテの驚くほどのバックグラウンドの類似点はつまり、両者ともに貴種流離譚(+エディプスコンプレックス)の典型的な構造化にあるということなのだ。

 

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似ているのは神話的設計によるもの

こういった貴種流離譚モノは昨今ヒットを飛ばしまくっているマーベル・シネマティック・ユニバースにおける、「マイティ・ソー」や「ブラックパンサー」もそうであり、またアイアンマン等も貴種流離譚からは若干外れるもののモノミス理論の英雄譚の元に設計されている事に気がつくかと思う。つまりこうした「本当はすごい人が苦労して、ヘンテコな奴らと力を合わせることで本来の力を取り戻し、巨悪を倒す」といったストーリーはいつの時代も大衆の心を掴む人気なストーリー体系なのだ。

そんな訳で前述の通り、パクリ云々ではなくかなりしっかりとした神話構造の元にストーリーが組み立てられている為であり、これは冒頭にも書いた「何故原作の存在しないオレカがこうも人気なのか?」への答えでもある。

また、ダンテの旅路も含めてモノミス理論の4.)メンターに当たる存在、つまり「師匠的存在との出会いとそこでの経験」というのが非常に曖昧である場合が多いオレカバトルだが、3/7章はこのメンター的側面が非常に色濃く描かれており、ヒエン、ハヤテ、リントはメンターとの関係、

・ヒエン=師であるナナワライ

・ハヤテ=父ナナワライ・兄オロシ

・リント=里の守護者であるライシーヤ、師であるリザド

の死や衝突がストーリーの基盤になっている。

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こちらも以前(2016年)作成したオレカバトルの3/7章相関図。ライシーヤの覇星神化前の内容。

詳しくは当時の記事で。

cruelmelody.hatenablog.com

 

また、これは非常に個人的な意見だが、アズール/メロウが新5章にて霊体として登場するシーンもスターウォーズのオビワンやヨーダの思念体化を彷彿とさせ、ダンテが「海王のまなざし」を会得するという部分は、ある種メンターへの師事を感じさせる。

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※さよなら絶望ダンテェ

 

話はそれたが、この3/7章の中でもレオンのみは旧序章~3章のカラーを維持しており、そのストーリーは血筋といったものに縛られてはいないもののやはり構造としては貴種流離譚の形に則っている。

※全くの余談だが、3/7章の舞台となる「風隠の森」において、主人公たちは「何かに依存している」ような描写が数多く描かれ、自身のアイデンティティとも言える「依存」を全員が一度全て奪われている。

個人的に新旧3・7章の面々は「何かに依存している」イメージが強い。今回のレオンくんであれば彼は竜騎士としての強さに依存しており、次に登場したヒエンは師匠への依存、ハヤテは父・兄への依存、オロシは森・権力・家族への依存、リント君はライシーヤへの依存だと思っている。

*レオン君にとって「強さ」が彼の求める一番の(メインとなる)ものなので、故郷の話などの出自が薄いのでは?とすら感じている。

レオンくんは聞こえていたドラゴンの声・竜騎士としての根本(ドラゴン)を奪われ、師匠を助けるために奔走したヒエンは帰還とともに師匠の死(おそらく)を告げられる、ハヤテは兄オロシを「権力に溺れ失墜(あるいはそれ以上の何か)する形から失い・父は森の犠牲となり、オロシは前述のとおり森と権力と家族の信頼を失う、リント君はライシーヤの時空への到達と覇星神への覚醒にてライシーヤの救出に失敗している。

その他の章の主人公(ここは相当な個人差)以上に自身を形成する・した「何か」を奪い去っていくのがこの風隠の森であり、本来歩むべだった道を、場所を、彼らは一度失っているような感覚を他の章よりも色濃く感じている。

「行こう…再び空へ!」

しかしながら、奪い去っていく森は、一方で彼らに本来の意思を与える森でも有るような姿も見せる。

前述の本来の道を物語の序盤で奪われていくキャラクターたちは新7章の最終解禁までに、本来彼らが求めていた物に対しての「依存」という形と決別し、風隠の森にて各々が新たな道を本来の意思を、悩み葛藤し、取り戻していく。

オレカバトル:新7章 竜騎士だった男、放浪の竜騎士レオン と依存する森より抜粋。

 こういった元々持っていた力=アイデンティティの喪失と、新たな非日常での成長と復活もまた、非常に神話的なストーリーの流れである。前述のマーベル版マイティ・ソーなんかは貴種流離譚とこちらの力の喪失と成長・復活がメインのストーリーとなっており、レオンも同様に、後に放浪の竜騎士の姿で登場し、力の喪失が描かれている。これらは漫画などでも多用されるストーリー手法の一つであるが、しかしながらオレカバトルがゲーム内、更には数少ないセリフと1コマのカットインのみでハリウッド映画レベルのストーリー構成とも言える内容をはらんでいた事がわかるかと思う。

cruelmelody.hatenablog.com

 この貴種流離譚の構造を意識してオレカ界を見渡せば、例えば同1/5章に登場するフロウも完全に同構造の元に作られているキャラクターであるし、王族であるという点はより貴種流離譚の表現に踏み込んでいる。

また以前オレカ界のトリックスターにおいて触れたスサノヲも同様。スサノヲはモノミス理論でいう旅立ちが「追放」という強制的な排除となっているが、これもまた貴種流離譚に当てはまる内容となっている。

 

金ケロさん、赤ポワン待ってますよ

そんな訳で前述の完全オリジナルコンテンツであるオレカバトルの異常なまでの隆盛は、決してテクニカルなブレイクスルーだけにあらず。印刷式キッズゲームが当たり前になった(むしろ若干廃れ気味)今でも根強い人気を保っている理由は、堅実で非常に誠実なストーリーの基礎が組まれていたから、というのが僕の個人的な見解である。

いや、実際スターウォーズと1/5章はめちゃくちゃ似ているんんだけど、これは神話だから!

完全に余談だが新作のスターウォーズがそこまでおもしろくもなければ、大して話題にならないのも、個人的にはこの神話的構造を捨てたからだと感じている。スカイウォーカーの血筋でいいんだよ、スターウォーズは!

アズールメロウがフォース思念体みたいな姿で現れたときは「うおぉおう!?」ってなったけど、あれはメンター的なアプローチじゃないですか?これからクジェスカと退治する前の最後の師事的な。そうですよね!ね!

つまりなにが言いたいかというと、1/5章ユニバースを更に拡張するであろう赤ポワンを僕はまだ待っているんです、という話。

おわり。