くるめろとは違う

くるめろと貴様は関係ない。

雑記:映画 ハリウッド版ゴースト・イン・ザ・シェル、たった1つの違和感 ※ネタバレ有

 

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Ghost in the shell攻殻機動隊が遂に実写化

1995年に公開されたアニメ映画「Ghost in the shell」、現在のアニメって基本的にCGが取り入れられていて彩色もデジタルだったりする中で、個人的に1990年台のセル画のアニメ作品は限られた手段における限界への挑戦…!的な、今となってはある種のロストテクノロジー感を感じてしまう。

アキラ(88)もそうだが、こうした90年台のセルアニメの表現は現在のデジタル技術であれば幾らでも再現”可能”であって、あるいはそれ以上にダイナミックな表現やこれまで作れなかったシーンの追加等も”可能”なのかもしれない。しかしながら、攻殻機動隊AKIRAはそうした技術を持たない中での、セル画の集大成と言うべきか、あるいは映像から滲み出る「何か」によって、今でも色褪せない独特の映像美を放っているように感じる。

*「もののけ姫」は97年公開。宮崎作品においてセル画と絵の具を使った最後の作品となった。

SFアニメ映画の金字塔であり、海外にも多くのファンを持つGhost in the shellが遂に実写化された。前述のアキラや、エヴァ等、海外での実写化の話は何度も出てきては立ち消えだったのだが遂に実写化!めでたい!と言うことで早速見てきたよ。

 

*メインストーリーのネタバレを含みます。

 

トーリーの概要

まず、実写化されたGhost in the shell士郎正宗の原作から押井版「Ghost in the shell」「Innocence」、神山版「STAND ALONE COMPLEX」、黄瀬版「ARISE」とこれまでの多岐にわたる作品の名シーンをバラバラにカットアップし、それらを映画のストーリーに合致するように再構築したような内容になっていた。

  • 神山版 STAND ALONE COMPLEXの料亭での芸者ロボの暴走から始まり
  • 押井版Ghost in the shellの水辺での光学迷彩での戦闘があったり
  • 神山版2nd Gigに登場するクゼが登場しストーリーの根幹を担ったり
  • 押井版Innocenceのようにロボットが「助けて…」と言ってみたり

とファンなら思わずニヤニヤしてしまうような「見たことあるやつ」のシーンの連続だ。

 

トーリーだが、

少佐と呼ばれる女性「ミラ・キリアン」は難民船に乗っていた所をテロリストに襲われ重症を負う。船に乗っていた難民が全員死亡する中で唯一生存した彼女は政府のプロジェクト「2571」の被験体となり脳のみを残し全身を義体化することで一命を取り留める。

その後、公安9課に配属された彼女は自身の義体も製造する最大手ハンカ・ロボティクスの重役が殺される事件を追う中で、ハックされ暴走した芸者ロボの中に電脳ダイブを行う。犯人の手がかりを掴みかけるが、逆にハッキングを仕掛けられてしまいそこから象徴的な視覚バグ(社のようなものがノイズと共に視界に入る)が頻発するようになる。

決定的な糸口を見つけられないまま次々と殺されていくハンカの重役たち。遂に次の標的が自身の命を救った=全身義体化を施した博士だということが分かり、救出に走る。電脳ハックされたゴミ清掃員が博士を襲撃するも間一髪で救い出しハックされた清掃員から逆探知し犯人のもとに突入する。

突入先で捉えられた少佐、今回の事件の犯人である「クゼ」は「自身もプロジェクト2571の被験体であり失敗作として処分された存在だ」と告げる。プロジェクト2571の初めての被験体であり初めての成功例であったはずの少佐だが、それは幾多の失敗作の中で偶然成功したこと、そして自身の事故の原因であるテロ襲撃すらもが作られた記憶だとクゼは言う。

その後、博士から真実を聞いた少佐はハンカの手先から襲撃を受ける。時を同じくして9課の面々も襲撃される。当然撃退するがそんな中で博士が記憶が”書き換えられる前の手がかり”を少佐に渡すも直後殺される。その手掛かりを元に訪れた集合住宅の一室で出会ったアジア人女性の話を聞く少佐、その女性から「体の機会化に対して抗議活動を行う”素子”」という女の子の名前が口にされる。徐々に記憶が復活してくる少佐。記憶を頼りに立ち寄った難民街の社のような場所でクゼと再開する。クゼと少佐(素子)は以前共に抗議活動を行っていた恋人同士だったのだ。

そこへハンカの社長が遠隔で操る多脚戦車が登場、二人を襲撃する。義体を引きちぎる程のパワーを出力し多脚戦車のメインカメラを破壊する少佐。ぼろぼろになった少佐とクゼ。クゼは自身が構築したネットに体を捨ててゴースト(意識)を放流しないかと持ちかける。しかし少佐はそれを断る。直後、ハンカのスナイパーによってクゼの頭が吹き飛ばされる。次の照準が少佐に定まるが、9課のスナイパー「サイトウ」がこれを仕留め現場は収束する。その頃、遠隔で多脚戦車を操っていたハンカの社長のもとに9課課長の荒巻が到着する。

草薙素子」の墓の前で自身の母親(前述のアジア人女性)と抱き合う少佐。次のシーンではビルの上に立ち、荒巻から「事件だ、おまえに全て任せる」の電脳通信が入る。ビルから飛び降りる少佐、徐々に光学迷彩によってビルの表層に同化していく。エンディングに流れる川井憲次の「謡」のリミックス。

 

こちらが超ざっくりのストーリー概要だ。

 

ダメ出しは見てからで

少佐の名前が草薙素子ではなくミラ・キリアンだったり、知られざる過去…!的な事前情報。僕も公開前の予告などによって超不安を感じていた身なので、ネット上のバッドなバズの言わんとしていることはわかる。ただ「少佐が素子じゃないなんておかしい!フガッ!フガッ!」っていう意見は物凄く空振っているので、ディスりたいなら金を払って見たほうがよいと、思うよ。

 

原作ファンとしての僕の否定的意見:究極にシンプルなたったひとつの問題点

そんな訳で僕はこの映画に正当な対価を払ったので盛大にディスり倒してやろうじゃないか!と息巻いて見たのだけど、割りと良かった。もちろん、細かいアレソレはたくさんあったのだけど、それでもわりとよかった。本当。

ただ、たった一つだけどうしても許せない部分があって、それは

スカーレット・ヨハンソンが完全にミスキャスト」

という点。

とにかくコレだけは本当にどうにかならなかったのかと。何故スカヨハではダメなのか、その点のみに絞って列挙していかねばならないのだ。

 

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スカヨハはグラマー過ぎる

スカーレット・ヨハンソンさんは非常に魅力的なルックスをされているが、なんというかアメリカンな恵体過ぎるのだ。ある意味ではマリリン・モンロー的というか。少佐は確かにグラマラスなのだが、スカヨハ氏の光学迷彩シーンはとにかくプニプニ過ぎで、お前もう玉羊羹じゃねーか!みたいな。爪楊枝でチョンってしたらブルン!って中身でそうなくらい、なんか、パンパンなのである。

スカヨハはおもったより小さい

更に上記項目と負の相乗効果を重ねてしまっているのがこちら。スカヨハ氏は身長160cmと海外の方にしては若干背が低く、つまりミニグラマーなのである。何度もしつこいが女性として非常に魅力的な部類のルックスをお持ちであるが、少佐は原作において168cmであり普通に結構足りてない。

スカヨハのアクションはそうでもない

スカヨハ氏は以前にもマーベルシリーズにおいて「ブラック・ウィドー」を演じていたのでアクションには少しだけ期待したのだけど、わりと駄目だった。スローでガラスを突き破り壁を走るシーンはあまりにも残念。ワイヤーアクションも非常に切れが悪く、なんだコレ!と調べてみたところ、マーベルのブラック・ウィドーはアクションシーンに代役(ボディダブル)を立ててたらしく、今回は「頑張ってみた」との事。次からは頑張らなくても大丈夫です…うぅ…としか言えない。

スカヨハは絶望的に素子カットが似合わない

草薙素子の髪型、前下がりショートボブって現実に落とし込むと非常に難易度高い髪型じゃないですか。アニメカットというか、ほら、あの、金田一少年みたいな後ろ一つ縛りの男性キャラとか。実際のところ現実に落とし込むと相当のイケメンでもハードル高いぞ?!っていう。*そういった意味では今度公開される鋼の錬金術師の実写化でもエドの髪型ハードル高そう。

話は逸れたがこの日本的アプローチのアニメカット、スカヨハ氏には絶望的に似合っていない。おでこの距離感がおかしいし、あと眉毛太い。欧米におけるアジアンビューティーは太眉だろ的なあれかな。

 

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*このガガ様によく似ている。

 

*それからスカヨハの少佐は常に不機嫌ゴリラみたいな顔で眉間にしわを寄せ、基本猫背でのそのそと動いていた。ときには怯えたゴリラのようにのそのそと動いていた。少佐はたしかにゴリラ女呼ばわりされてたけど、なんていうか…そういうマジゴリラとはちょっと違う気がする。

 

ホワイトウォッシュどうのこうのじゃなくて、ただただスカヨハじゃない

なんでも海外では2016年のアカデミー賞にて白人ばかりが入賞し、人種の洗浄「ホワイトウォッシュ」があると騒がれたばかりだそうで。アジア人である筈の草薙素子が諸般の事情によって白人の「ミラ・キリアン」へと変更された事は、こうした流れを受けて海外で盛大に批判されたらしい、ある意味では「似てね―」以上に繊細な話へと発展してしまっているようだ。これに関して集中砲火を受けるスカーレット・ヨハンソンさん自身も「もう人種改変されたキャラ演じたくないっす…」と結構へこんでいる様子で、これは正直かわいそう。

しかしながら、洗浄された側の日本人である僕の意見としては草薙素子が白人になろうが、トグサが中国人になろうが、イシカワ・ボーマが黒人になろうがですね、「正直そんなのどーでもいいよ」っていう。

「ただ、スカヨハではない」と。スカヨハが白人だからいけないのではなくて、ただただ、似合っていない、それだけだ。

 

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実写版「アグレッシブ玉羊羹刑事(デカ)、ガラスパリーンからのおけつプリプリ壁走りの巻!」になってしまっている感じ。ただそれだけの話なのである。西部警察だったら

「よし…今日からお前は”スケスケ玉羊羹”だ!よろしくな」

 って言われてるぞっていう。光学迷彩的な意味で。世が世なら、言われちゃってるぞっていう話だ。

もちろん、スカーレット・ヨハンソンさんは非常に魅力的であり、出るべきところに出ればありえないほどに輝くことが出来る大女優さんだと思う。ただ、素子だけはダメだった。物事には適材適所ってものがある。日本でのマーケティングも「#スカヨハ攻殻」(ハッシュタグ)等と宣伝を打っているが、個人的にそこが一番ヤバイや~つだから!っていう。

 

 

ちゃんとした感想

押井版Ghost in the shellを下敷きに、人形遣いを神山版2ndGigのクゼ・ヒデオに置き換えたような展開になっている。押井版では人形遣いを公安6課が放流したのに対し、クゼは義体メーカーのハンカ・ロボティクスが人さらいを行って生まれた失敗作であり、そんなクゼの復讐劇を神山版SACの笑い男事件の展開をなぞるように描いていく。

これまでの作品が限りなくマッシュアップされた、良い言い方をするならば「原作へのリスペクトを感じる」作品である。しかしながら、攻殻機動隊のこれまでの作品は常に革新であったことに対してこのハリウッド版ゴーストインザシェルはよく出来ているが特に驚くような何かがあるわけではなく限りなく模倣に近い内容となってしまっている。

また、攻殻機動隊の中に常に暗澹たる空気感で存在する機械と人間のボーダーライン、脳を電脳化し体の殆どを機械へと変えた"何か"に対して何を持ってして「人」たらしめるかといったテーマや、操作された過去等は、良い意味でも悪い意味でもハリウッド的なドカーンバキーン!にかき消され「私は私よ!これから生きることが私の存在の証明よ!」と青春グローイングアップ物的なノリで非常に単純に纏められてしまっており、これといった深みもない。

 

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それとサイバーパンクの感覚が非常に直球で安っぽい。誰もが口にしているがまさに2017年版ブレードランナー、だが結局それ以上でもそれ以下でもない。既視感のあるあんちょこさ。「うわぁ!なんだコレ!パ、パクりてぇ~」っていう決定的な何かが無い。

これに関して、攻殻ってこんなにサイバーだったっけ?と疑問に感じるのは僕だけではないはず。ちょっとやりすぎてフィフス・エレメントに片足突っ込んじゃってる感じで、街の風景や人間がぶっ飛びまくっている。立体映像広告が立ち並んで、街中の人間が顔面に謎の球体はめてたり、蛍光色のチューブみたいなの出てきたりとあまりにもナンセンス。”独創的なサイバーパンクの世界”って聞いて蛍光イエローのチューブとか出しちゃう?っていう。"みんなが驚くような猪木のモノマネして"って言われて初っ端「元気ですかぁ―!」って言っちゃうくらいアウトな気がする。

とにかく、雑多だけどこんなサイバーではないよねっていう。初めに出る医療班がLED点灯するような謎のゴーグルかけてるあたりとか、おいおいそれやっちゃう?っていう。未来(ステレオフューチャー)感が結構虚飾で、ブレードランナーの頃に毛が生えた程度で変わっていないっていうのが、なんだか寂しい。結果的に最初から最後まで金をかけた”何か”の焼き直しであって、「新たな何か」はこの中にはない感じ。

 

ぽろぽろと、そういえばあれも…そういえばこれも…と書きなぐってしまったが、まとめとして一番最初に書いたとおり「わりとよかった」と思う。海外では人種洗浄が~って騒ぎになっているけど、じゃあ少佐を「菊地凛子」あたりがやればよかったのか?と聞かれたら、それはちょっと…だし。パ、パシリムかぁ~~っ!つってね。僕は個人的に白人だろうが、黒人だろうが、少佐というキャラを構築する上での重要な要素がぶっ壊されてなければなんだっていいよ、の精神なのだ。なのでとても良く出来ている、特にスカーレッ亭・スケスケ玉羊羹師匠の件以外は本当によく出来ている。

ただ、かなり過去作を踏襲した結果良く出来過ぎてて、ただそれだけのファンサービス映画になってしまった感は非常に強い。ファミ通で言えば「ファンなら買い」的な。

*これに関してはスター・ウォーズ「フォースの覚醒」にも同じことが言える気がする。ファンからの批判に尋常じゃないほど気を取られた結果、じんわりと「いいんじゃないかなぁ…これで…」とニヤつく程度の内容になってしまうような。決して悪くはないのだけど、革新もない。(感想には個人差が有ります)

更に言うと、なんだかんだ往年のファン(海外も日本も)は逆にそういった予定調和を崩すブレイクスルーをどこかで期待しちゃっている感じはあったのではないだろうか。しかし、それは玉羊羹がブルルンするほうのブレイクスルーではないのだ、けっして。

 

番外:いろいろ

  • 押井版GITSでもあった少佐のダイビングシーン。実写版でも存在するが少佐は浮上するためのフローターを付けておらず足につけた水かきだけで陸に上がる。少佐のダイビングは「浮き上がることの出来ない義体」を海に投げ込むというリスクを承知で行っている(だからフローターを背負っている)という心理的な意味合いが大きいだけに「水かき、て!水かきってーーー!」となった。
  • 芸者のロボのデザインが完全にビョークのホモジェニック。やはりナンセンス、15年前くらいで止まってしまっている。

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  • トグサはマテバっぽい銃を撃っている。とても一瞬。
  • 攻殻において象徴的な首後ろのジャックを使用する機会が非常に少なく感じた。テレビシリーズではスマホいじる感覚でガチャガチャ何にでも繋いでたから特に。この「使ってあたり前」感がザ・未来!って感じだからもっと見たかった。
  • クゼがマイケル・ピットで僕得だった。カッコイイよね。
  • トー・トグサ以外完全空気だった。パズとかボーマいたの?せめてダイブするシーンとかに隣りにいて身代わり防壁(攻性防壁)張ってあげるような演出とかあってもよかったのでは。
  • 全く知らない女の子が9課にいた。あいつ誰だ。
  • たけし「フガッ…フガフガフガッフガッ!」←英語字幕でなんとか理解できた。
  • 荒巻(たけし)が人を殺しまくる。最終的には犯人まで殺す。SAC的な刑事物的な側面を踏襲しつつストーリーが進む中で、最後に犯人を殺すっていう選択肢はいかにもハリウッド的な大味感。「あなたを逮捕いたします」的なノリがSACのカタルシスだっただけにこれも少し残念。